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徳島大空襲を体験して:山上 敏子

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市国府町 山上 敏子

 あの悲惨な大空襲から六十五年の節目を迎え、当時を振り返ってみますと、主人と私は佐古四丁目(現在の二番町)で桶を作っておられたお宅の裏座敷をお借りしておりました。当時主人は二度目の召集中で、六ヶ月前より司令部付になり勤務しておりました。県外へ出張することも多く、私は佐古駅まで送って行きましたが、いつ警戒警報が鳴るかも分からない状況でした。
 あの七月三日の夜は、主人の友人二人と夜遅くまで話し合っていました。あの当時、お菓子等は何もなく、私はアルミのお弁当箱で蒸しパンを作り、お茶を出すぐらいでした。そのとき、何度目かの警戒警報のサイレンが鳴り出し、友人は帰り、大急ぎで電気を黒い布で覆い部屋を暗くしていると、間もなく空襲警報のサイレンに変わり、主人は軍服に長い剣を提げ、私は防空頭巾に救急袋を掛け、大急ぎで防空壕へ入りました。そのとき、パリパリという爆音と共に照明弾が落とされ、たちまち辺り一面昼間のように明るくなり、その一瞬、次々とB29が低飛行で焼夷弾を投下し、激しい爆音の中、生きた気はしませんでした。
 B29が旋回して通り過ぎ、すぐ壕から出て見ますと、隣の家も板塀もパリパリと音を立て燃え始め、いつも用意していた桶のお水をバケツで何度も掛けましたが、間もなく桶の工場の木材が燃え始め、消火はあきらめて逃げることに決めました。主人の剣の先をにぎりしめ、必死で、爆音の中、泣き叫ぶ声を聞きながら、やっと家屋から出て、暗がりの田んぼの中を夢中で走り、何度も石につまずいて倒れ、手足・顔にもケガをしながら佐古駅の北までたどり着きますと、子供、お年寄り、女の人ばかり三十人ぐらいの人達が不安そうに避難し集まっておりました。あの当時、若い男の人は召集されて不在だったので、軍服姿の主人を見て安堵した様子でした。
 そのとき、東の方から爆音が聞こえ、主人が「一列に畝(うね)に添って伏せるように。」と大声で叫ぶと、皆、従ってくれました。やがて数十機のB29が旋回して低飛行で焼夷弾を落とし、確か畑に落ちたときはドスンドスンと地響きに土煙、池に落ちるときはションションと消え、真向かいの二軒の家にも投下され全焼しました。何回となく旋回しては落とされ、立ち去れば空を見上げ伏せとの連続で、誰一人の負傷者もなく二時間半にわたる爆撃も終わり、数十機のB29は東の夜明けの空へ立ち去り、私達はただ呆然と立ちすくんで見送りました。市内の方を見てみますと町全体が火の海となり、夜明けの空に真っ赤に燃えていました。
 不安の中、知人を探したのですが安否も分からぬまま、主人は司令部の方へ、私達は主人の実家にお世話になることに決め、国府町へと歩いて行きました。途中、加茂名中学校前の県道に座り、救急袋より手鏡を出し、顔・手足をふき、髪を整えておりますと、二台のトラックに焼け出された人達を大勢乗せ、西の方へと通り去るのを見送りました。その道沿いに確か、キョウチクトウの赤い花が咲いていた記憶があります。
 あの日から六十五年、戦争空襲を知っている人も少なく、つくづくと時の流れを感じます。色々体験した私は、戦争は二度としてはいけないとつくづく思います。何の良いこともなく悲しいことばかりで、愚かなことだと思います。犠牲になられた方々を忘れないで永遠に平和な時代が続きますよう祈るばかりです。

 道に沿ふ 夾竹桃きょうちくとうに 想ひあり
 火の海を 逃れし記憶 暑さかな

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