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家族との再会:井原 フジ子

最終更新日:2016年4月1日

 広島県三原市 井原 フジ子

 当時、私は両親と兄弟五人の七人家族で、下助任町に住んでいた。
 七月三日、父は勤務先の当直で不在だった。
 激しい爆音と近隣の家が燃えるすさまじい光景に動転し、私の足はすくんでいた。
 「早う逃げんと死んでしまうよ。」母の金切り声にせかされ、急いで防空頭巾をかぶった。母は生後十ヶ月の末弟を背負い、十一歳の私は三歳の弟の手を握って、他の兄弟と共に逃げ惑う人々の群れに加わった。八幡神社の裏通りをどこへ向かっているのか分からないまま走った。道路の両側の家が燃え、熱風と火の粉を浴びながらしばらく走ったが、幼い弟が転ぶと踏みつぶされると思い背負った。重たくてずり落ちそうになったが、小さい手で私の肩が痛いくらい、しっかりしがみついていた。
 いつのまにか母と兄弟の姿を見失い、心細くなったが探すすべは無かった。
 道端の防火用水に頭巾を浸している人がいて、私も真似をし、弟の背中にも水をかけた。爆音と熱風が充満した道路を走り続けるうちに、やっと上助任へ向かっていることが分かった。
 古川橋へたどり着き、土手を下り、弟を抱き締めて川に入り、肩まで水につかった。遺体が何体も目の前に有り、焼夷弾が落ちてくる有様は、正に地獄図だった。流れてきた布団を拾い、頭からかぶって、泣き声さえ出せずに震えてしがみつく弟をしっかり抱きかかえ、「弾が当たらないように」と祈り続けた。弟を守らなければの一心で過酷な長い時間を堪えられたのだと思う。
 爆音が消えたころ夜が明け、土手を上がると一面焼け野原で覚えの無い光景が広がっていた。どこへ行けばいいのか分からず、二人で手をつないでぼんやり立っていると、「姉ちゃん」と呼ぶ声がして、母と兄弟が泣きながら駆け寄ってきた。「よかった。よかった。」と互いの無事を喜び抱き合った。
 我が家の焼け跡へ戻ると、防空壕があった辺りを、涙をぬぐいながら木切れで掘っている父が居て、皆で嬉し泣きをしながら抱きついた。
 「壕の中で家族みんなが死んでいると思って辛かった。」と泣き笑いの父が私の手を痛いくらいぎゅっと握った。
 家族七人、ケガも無く再会できたことが、唯一の慰めだった。

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