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戦争は悲しい:原口 美恵子

最終更新日:2016年4月1日

 阿波市吉野町 原口 美恵子

 あの徳島大空襲の日から何十年の歳月を経たことであろうか。今も七月四日が同窓会の日として「絆は強く」の同窓会誌の題名通りに続いている。
 十五歳にも満たない田舎者の少女が町の土を踏んだのは、師範学校女子部予科一年生の四月一日であった。寄宿舎生活は厳しかった。食糧難、規律づくめの日々、防空訓練、蔵本まで荷車を引いての畑仕事はきつかった。
 それよりも、毎夜繰り返される警報の無気味な音、(今でもサイレンの音を耳にするとドキッとする)七月四日夜のサイレンの音は、黒い魔物が潜んでいるように思えてならなかった。
 壕の中はむし暑さと、水たまりで腰を下ろすこともできなかった。懇願の末、T先生がやっと三分間外へ出してくれた。あの時の空気の何とすばらしかったことか。「よし、三分経ったぞ、入れ。」の命令。入った直後、昼間よりもなお明るい照明弾。みんなの顔もはっきり見えた。
 全ての建物に火が付いた。油脂焼夷弾の炸裂である。「いかん、お城の堀へ逃げるか、運動場のプールの側の壕へ行くか。」先生の決断は早かった。
 私達はモンペの裾をからげて走った。草はチロチロと炎を出していた。靴はどこへやら。だが緊張のためか熱さは感じられなかった。ふと気が付くと、校舎も近隣の家々もすべて灰燼(かいじん)に帰し、あとはもうもうたる煙の渦であった。「いかん、このままだと煙にやられる。」みんな持っている衣類、品物等を壕の上へベタベタと張り付けた。
 それ以前に「プールへ飛び込め、火が付いたら大変だから。」の命令。私は泳げない。だが至上命令、誰かが背中を押した。不思議なことに体は自然に浮き上がった。
 早朝、七月の太陽は日食のようにどす黒く鮮やかに見えた。蔵本の寮へ逃避行の途中、お堀に浮いていた数多くの死体に思わず目をそむけた。「それは焼死体じょ。またいだら駄目。」友の声によく見ると確かに死体である。あの時は恐さは全く感じなかった。
 「解散」の声。線路沿いに西へ歩けばいい。そう信じて、裸足のまま、焼け付くような太陽の中を走った。「列車が来るぞう。」石井付近で大声を耳にする。そして鴨島駅へ。あの時の自分の服装と、一文無しだったのにどうなったのかと今も恥ずかしさが残っている。
 私はまだよい。何人かは市内在住のため、学業を中止せざるを得なくなった友もいる。六十歳のとき、「絆は強く」の四十名の冊子を作り、現在も七月四日を同窓会の日としている。
 現在、私達夫婦は八十七歳と八十歳近くになろうとしている。二人共に戦争をくぐり抜けた老夫婦である。夫は旧満州のハルピンの大学卒業と共に現地入隊、ソ連軍との激戦、そしてシベリア抑留三年有余、私よりもはるかに苦労をしている。結婚五十七年、金婚式までと願っているが、これは神のみぞ知ることである。
 私は今もサイレンと飛行機の音に驚怖を感じる。トラウマであろうか。「戦争は悲しい」二人の著書の題名である。若者達にもっと強く生きて欲しいとの願いから。

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