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徳島大空襲:入交 洋子

最終更新日:2016年4月1日

 松茂町住吉 入交 洋子

 私は、今年八十歳になり、松茂町より「寿」のお祝いを頂きました。過ぎし人生を振り返ってみますと、波瀾万丈の人生でありました。父の勤務の関係で、東京で生まれ、満州(現在の中国の東北地方)で育ち、小学校四年生の三学期に朝鮮(韓国)回りの駆逐艦で帰国しました。釜山から下関まで約七時間を要し、戦地で亡くなった英霊と一緒に引き揚げてきました。そして、転校してきたのが、徳島市の助任小学校の四年の第三学期、シンガポール陥落の日(二月十五日)で級友と祝賀の旗行列に参加したことを記憶しています。
 住居は、祖父母の家。祖父は、若くして、生地松茂から神戸へ出て、鉄工の技術を身につけ、妻とその時代の新興都市、遼東半島の旅順市に渡り、南満州鉄道会社に勤め、定年後故郷に錦を飾った苦労人。生まれ故郷の松茂村に新居を構えましたが、飛行場建設のため立ち退きを余儀なくされ、徳島市南常三島町に仮住まいをさせられることになりました。国内外の情勢が激変し、危険を感じるようになりましたので、兄と私は、旧満州東北部鶏西地区の満州炭坑会社関係に勤める父母と別れ、日本へ帰国、祖父母の世話になることになった次第です。
 六年生のとき、修学旅行で伊勢神宮を参詣しましたが、戦時中のことなので、徳島からは二校のみの参加でした。その時代は、物資不足で生活物資すべてが配給の時代でしたから、宿泊に必要な食料も参加する各人が米五合程度を持参し、服装も防空頭巾携行にモンペ姿で、旅費は十円でした。旅館で夕飯に「たまごご飯」が出るとのことで生徒一同大喜び(その時代は卵などは病人以外は食べられなかったものでしたから)期待していましたが、机に並べられたのは、何とトウモロコシ入りの御飯でした。一同がっかり落胆したという挿話も思い出します。
 学校では、毎日、授業が終わると駆け足で、近くの城山にある護国神社へ駆け上がり、頂上にある護国神社に参り、ラジオ放送で知らされた、その時点までの皇軍の活躍を報告し、従軍兵士の武運長久を祈願させて頂きました。
 女学校に入学してもほとんど授業は無く、軍服の「ボタン付け」などの奉仕作業で、体育の時間には長刀(なぎなた)の練習をさせられました。
 そのような毎日で、二年の一学期も終わり、期末テストが七月四日からという七月三日の夜でした。明日からは期末試験と、勉強をすべく準備をしていました。戦況は日々厳しく、各地の空襲の被害が報じられてきていました。徳島も米軍機の空襲が予想されていましたので、勉学時の灯火の外部への光の漏れを防ぐため電灯に黒い「覆い」を掛け、机に向かっていました。突然、「ドカン」という大音と同時に、爆風と共に、周囲の品物が畳もろとも天井まで持ち上がり吹き飛ばされました。驚いて、戸外に飛び出しました。近くの工業専門学校(昭和十九年までの高等工業学校)の校舎が真っ赤な炎に包まれ炎上していました。多分、大型爆弾の被弾だと感じました。たちまち火の海に化する勢いでした。瞬間、戸外に急造した防空壕に飛び込みました。二、三十分過ぎて空襲警報が鳴り渡りました。ほんのしばらく間をおいて、焼夷弾らしいものが雨あられのごとく落下してきました。暑さに耐え切れず、防空壕から逃げ出しました。祖父母の手を取り、逃げ出しました。無意識に、工業専門学校の運動場の方へ走りました。運動場の周りは湿地帯で、延焼の心配は無いと無意識に感じたのです。湿地帯にはカヤが生えて行動しがたく、老祖父母の手を取り、転びながら逃げ回りました。沢山の人達が猛火から逃れるべく、吉野川の堤防沿いに逃げてこられました。私達は幸い近くに親類の農家があり、明るくなって避難させて頂き、終戦後までしばらくお世話になり、後日、祖父母の生地に帰郷、現在に至っています。

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