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徳島大空襲の思い出:小西 久子

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市上八万町 小西 久子

 三月十三日に大阪大空襲に遭い、親子三人命からがら徳島に帰郷して三ヶ月、叔父のお陰で秋田町に家を借り、やっと落ち着き、生活に慣れ、私も軍需工場に勤めることになった。
 当時十八才、六月二十三日昼前、「空襲警報発令」のサイレン。いつものこと、また阪神方面へ行くのだろうと思ったそのとき、「ドカン」と大きな音と地響き。「アッ」と、その場に伏せる。ガラスが壊れる音。そこらに破片が散る一瞬の出来事。気が付くと頭から血が流れる。左腕にガラスの破片が刺さっている。自分で抜き、ハンカチで腕を縛る。工場長が富田小学校に連れて行ってくれる。早くも大勢の負傷者が来ていた。消毒をして包帯を巻いてくれた。
 何時間たったのだろう。父も母も来ない。何か不安になりじっとしていられなくなり、一人家に走って帰る。家がない。その辺一帯、何もない。直撃を受けたのだろう。ただ呆然と立ちすくんでいた。これではいけないと、急いで両親を探す。しかし、父はいない。不安はつのるばかり。やっと分かったのが、叔父はケガをして富田小学校に運ばれ、母は子供達を連れて避難しているとのこと。父の姿がない。消防団の人にお願いして壊れた家の中を掘ってもらう。私も必死で手伝った。心の中では「お父さん、早く帰って来て。どこに居るの。」と呼びながら掘った。父は居た。直撃を受けたのか、顔がない。足も片方ない。でも、父に間違いない。私は涙も出ない。頭の中は真っ白。タンカに乗せて遺体安置所へ。棺に入れられた父。着せてあげる服も毛布一つもない。せめて手ぬぐいを顔に。しかし、顔もない父。初めて涙が。声を出して泣いた。立ち上がることもできないで、一夜泣き明かした。いつまでも泣いてばかりいられない。母が居る。私一人ではない。両親を亡くした人。子供を亡くした人も居る。叔父の家も長男のA君十五才が爆風に飛ばされ、たたきつけられて死んだ。憎い憎いB29。しっかりしなくてはと、父とA君の供養を済ませて、叔母の親戚の上八万に。母は助任の叔父の家に。私は叔父の介護。二、三日してケガ人はそれぞれの病院へ。叔父は古川病院に決まった。私は病院から助任、上八万と歩いて通った。当時はモンペ姿で綿頭巾をかぶりカバンを肩に。今思うと、よく頑張ったと思う。
 七月四日未明、空襲警報のサイレンと同時に焼夷弾。叔父を大八車に乗せ、叔母と二人、必死で走った。園瀬川まで、まあまあ無事にたどり着いた。比日宇に焼夷弾が落ちたとのこと。園瀬川で通行止め。仕方がないので川原に下りる。町は火の海。大勢の人が避難し、川原は人でいっぱい。今度は艦載機。叔父を車から下ろし、大八の下に。子供がびっくりして泣き出す。車の下に大人三人と子供、身動き一つできない。もうこれまでと覚悟を決める。父の位牌をしっかり抱きしめ、これで父の所に行けると思った。「父さん、叔父、叔母は守ってあげてね。」と。何時間そうしていたのか、艦載機も去り、人のうめき声と歓声のような声。町の方は真っ赤、川原は大勢の人で、右往左往。やっとのことで、大八車に叔父を乗せ、子供を背負って、どこをどうして帰って来たのか。私はいよいよ命冥利な女だと思う。助任も焼け出され、その跡に小屋を建てるとのこと。焼け野原になった町を、ふすぼる息の中、毎日助任まで歩いて通った。何回か艦載機に追われ、隠れる所がないので、腹ばいになったり、焼け残った石のような影に隠れたり、泣きながら歩いた。
 思い出すだけでも嫌。あれから六十五年。私も八十二才。長生きしたものだと我ながら感心する。あの時のことを思えば夢のよう。贅沢な毎日、幸福な月日を送っています。今は語る人もなく、一人時々涙するときもあります。戦争だけは、絶対にしないように。今の若い人、孫や曾孫にあのときの辛さ、苦しさ、みじめな思いを味わわせたくありません。
 戦争だけは二度と繰り返さないように、心から祈っています。

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