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B29の空襲をうけて:吉田 博

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市南佐古四番町 吉田 博

 空襲の二日前まで、私の家の離れ(新座敷)にイケメンの陸軍中隊長・陸軍中尉が下宿していた。当番兵の二等兵が毎日、彼のために風呂を沸かしにやってきた。
 やがて七月四日未明となった。空襲警報のサイレンが鳴り響き、「ブーン、ブーン」と独特の爆音が聞こえ始め、真上の空に花火のように焼夷弾がパッと散らばって落下し始めた。焼夷弾は円形に一列十六個装置され、それが三段あるから全部で四十八個が、クラスター弾みたいに空中でバラバラになって落下する。地上近くになると「ヒューヒュー」と音がして、地上に落下すると防空壕に座っている人間のお尻にトントンと響く。生きた心地がしなかった。家族六人、息を殺して早く空襲が終わればよいのにと祈るばかりであった。雨あられと焼夷弾が落ちてくる。徳島市の空は赤く明るくなり、空は悠々とB29がかなり低空で飛んでいる。迎撃の戦闘機なんかいない。
 とそのとき、わが家の台所の下から火が出始めた。姉がヒステリックな声で「みな一緒に死のよ。みな一緒に死のよ。」と叫んだ。火はそれほど大きくないので、「消せるわ。」と私は叫んだ。「それ!」と家族全員バケツと金たらいをリレーで運び、どうにか消すことができた。私は当時旧徳中一年生だった。後で調べてみると、一発の焼夷弾が二階のかわら屋根を突き破り、二階の床を貫通し、一階の大きな水甕(がめ)を直撃し、さらに台所の板を貫通して床下で発火したものと判明した。もし一発でなく数発同時に落下していたら、消火しきれなかったであろう。一発でよかった。当時、佐古小学校とその近辺に陸軍の将校・兵士が下宿していた。そのため焼夷弾が落ちても消火できたものと思われる。
 夜が明けると、眉山の山麓で大声で人の名前を呼ぶ大合唱が聞こえてきた。「よし子おるか!?」「一郎、父ちゃんは生きとるぞー。諏訪神社の本殿へ来いー。」眉山へ逃げた市民が多かった。ところが兄が諏訪神社の裏から山頂目指して山道を登っていたところ、運悪く焼夷弾の直撃を受けて死んでいる女の子を見たそうだ。兄は旧徳中四年生で旧徳中の校舎を見に行く途中であった。
 明るくなって、諏訪神社の境内から市内を見渡すと、一面灰色でところどころ真っ黒な樹木が見えた。不思議なことに佐古川の南はなんとか焼けずに残ったが、北はほとんど焼けてしまった。

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