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五才の少女が見た大空襲:坂本 裕子

最終更新日:2016年4月1日

 石井町石井 坂本 裕子

 私は今、七十才。戦争体験者の最年少者であると思う。常々、徳島大空襲を後世に伝えなければと考えていた。小さな五才の女の子の大きな大きな体験として、私の人生で絶対忘れることのできない、地獄のような戦争。
 今から六十五年前、当時、私の家は市内の東のはずれ、沖洲町で、町の東半分は畑が多く、西側には立派な庭のある広い屋敷が立ち並んでいた。その中でも我が家は、近所でも少し変わった中庭があり洋風な感じだった。幼い記憶では、そこで教員の父のもと家族七人平和な暮らしを営んでいた。が、昭和二十年七月四日未明、それは暑い夏の出来事です。電灯に暗幕を垂らし眠りについたとき、警戒警報のサイレンが鳴り響き、家族全員飛び起き、防空頭巾をかぶり、裏庭の壕へ入った。狭い真っ暗な壕の中で息をこらしていた。しばらくして、空襲警報解除のサイレンが聞こえ、安堵したのもつかの間。突然不気味な爆音が東の方から急接近した。十四歳の兄が「B29だ。低空飛行だ。」と叫んだ。突然、頭上でババーンと音が響いた。兄が「照明弾が落ちてくる。」と、また、叫び、夜空低くB29の大きな黒い翼がすごいスピードで頭上を西へ飛んで行った。やがて何十機とも知れぬB29の爆音が、東の空から続々と近づいてくる。空全体が爆音で震えた。
 父は壕のふたを閉めた。そのとき、ザザッというスコールのような音がして、次にガーンガーンと激しい衝突音と爆発音が私の家の方で次々に聞こえた。バリバリッという炸裂音、ガーンガーンという音が耳をつんざく。しばらくして父が壕のふたを押し上げ外を見た。父の顔が真っ赤に、炎上する家の炎に照らされていた。「家が燃えている。ここに居ると危ない。逃げるのだ。」父の声に家族は壕を出た。
 我が家は既に真っ赤な炎の中にあった。空はすごい爆音の嵐、ザザッという焼夷弾のスコールの音は切れ間なく続いていた。
 父は隣家の垣根を押し倒し道路へ出た。
 兄は一才の妹を抱き、十一才の兄、七才の姉、五才の私は父の背中で、家族は恐怖でおびえ、黙々と夢中で走っていた。上空ではものすごい数の爆撃機が次々に飛来し、潮のうねりのような爆音を響かせ、焼夷弾の雨が炎の線を引いて降り注いだ。いつ焼夷弾が頭上に落ちるか、五才の小さい心は張り裂けんばかり、おびえと恐怖の塊の地獄の中をさまよっていた。
 一つの市街が、今、無数の巨大な怪鳥に襲われ、たけり狂う炎になすすべもなく、もてあそばれたのである。あの炎の底では、十二万人の人が逃げまどい、恐怖の極限を味わったのだ。長い時間が過ぎ、B29は消えていた。だが、市街地方面は炎上していた。私達家族は恐る恐る我が家へ向かった。おそらく町は全部、焼け尽くされていると思った。家の近くまでたどり着いて驚いた。ほとんどの家は焼失を免れていた。沖洲町では、B29がぽつぽつと焼夷弾を数軒だけに落としたらしい。その中、私の家は焼夷弾を落とされたのだ。
 翌日から、家ナシ、着る服もナシ、食べる物もナシ、家族七人どん底につき落とされたわけで、両親にとって、戦後は苦しみの連続だったと思う。
 二度とこのような、残虐で、人間として最低の行為、愚かな戦争を起こすことのないよう、祈るばかりである。

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