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あの日 あの時(私の戦争体験 当時私は十七歳):林 信義

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市津田本町 林 信義

 昭和十九年十一月午後一時頃。「ドカーン」と、大きな爆弾の破裂の音がし、津田町全体に地鳴りがしました。地震でもない。びっくりして、慌てて外に出る。隣近所から「わいわい」と、騒ぐ人々の声がする。大勢の人が南佐古(現在の新浜町)へと走って行く。爆弾が落ちたという声が聞こえてきました。私もどこへ落ちたのかと、慌てて見に行きました。初めて見る爆弾の威力の怖さ。間口七間、二階建ての家がそっくり無くなっている。直径、深さ共に十メートルほどの大きな穴が掘り返っている。近所の人の話では、「家の中におりました。親類の人たちと共に、六人が爆弾の直撃で爆風に飛ばされて体が無い。」という。「ちりちりばらばらになり、行方不明で、着物の端切れ一つが、隣の木の枝に引っ掛かっていた。」という。
 近所の人が泣きながら、私に話をしてくれました。それが私と同級生の女子の家です。Aさんの家です。かわいそうなことになったと思っておりました。後で分かったことですが、幸いにもその子は、父親と共に、津田町の山路におりましたので無事でした。
 (昭和二十年六月五日。B29爆撃機。午後一時頃数機飛来。津田町に焼夷弾投下。この空襲で津田町の家が三十三軒焼けました。)
 昭和二十年七月四日。夜明け前のことです。ドカーンドカーンと爆弾の破裂の音が聞こえてきました。どこかなと思い、家の外へ出る。南東の方角を見ると和田島の飛行場と、小松島市内に焼夷弾爆弾が落とされている。夜空を真っ赤に焦がしている。大原町の芝山があるので小松島市街の様子が分からない。やがて芝山すれすれの低空でB29爆撃機数機が津田町へと飛んできました。私の家からよく見える。夜明け前のことです。勝浦浜川から、津田海岸一帯に焼夷弾の雨が降る。「シャー」と、風を切る音がする。そして雨あられのごとく、焼夷弾を落として行く。この世の生き地獄の様です。
 やがて夜が明け、午前八時三十分頃です。新町川方面からB29爆撃機数機が、津田町へ飛んできました。津田町一帯に焼夷弾を、雨あられのごとく落として行く。煙と炎が立ち昇る。手の付けようもなく、ただ呆然と立ち尽くして眺めるだけで、避難するのがやっとでした。この空襲で燃えた津田町の家は、「全焼五十四軒、半焼十四軒」でした。
 その後、津田の海岸に行って見ますと、勝浦浜川から津田海岸波打ち際の一帯に焼夷弾がたくさん落ちておりました。ほとんどが不発弾でありました。大きいもので長さが一メートル余りもある。油脂焼夷弾や先端にプロペラが付いているのもありました。
 (この時間には、徳島市も、また近畿一帯にも、空襲を受けていることが後になって分かりました。)

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