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戦火をくぐりて:松原 喜一郎

最終更新日:2016年4月1日

 鳴門市大麻町 松原 喜一郎

 私は、昭和二十年四月、旧制中学に入学した。
 その喜びもつかの間ですぐ学徒動員され、毎日、大麻山で松根の運搬作業に従事。同年五月十八日、そこで事故に遭い同窓生二名は即死、私は瀕死の重傷を負い、一命は取り止めたが、意識不明のまま徳島駅近くの病院に入院した。
 入院中の七月四日未明「ザー」という大音響で目が覚めた。病室の窓全体が黄色い炎に包まれた。隣のベッドの姉を呼び起こし、私も床にすべり下りた。しかし、左右の手足は「ギブス」を外したばかりで十分曲がらない。力も全く出ない。姉の手に引きずられてやっと出口にたどり着いた。そこから姉に背負われて道路に出た。外は火の粉の海で昼間のように明るかった。既に大勢の人が同じ方向に逃げていた。私達もみんなについて逃げた。途中、何度も目の前に焼夷弾が落ちてきた。その度に道端の塀に寄り添って身を伏せた。当時、姉は女学校三年生。小柄な体で体力もなく背中の私は大荷物だった。背中の私が重く、手と膝をついても容易に立ち上がれなかった。それでも姉は懸命に走った。しかし、姉もとうとう力尽き、ある大きな建物の下にある防火用水を見つけた。その中には既に数名の人が水につかっていた。姉がここに入ろうと言い出した。私は隣にそびえる建物に危険を感じ止めた。
 しばらくして、また姉に背負われてみんなの後を追って逃げた。その後、何度かの焼夷弾をくぐり抜けてやっとお寺の境内にたどり着いた。その寺の山際に小さな池があり、その中に既に十名くらいの人が避難していた。私と姉も池の片隅に入れてもらった。その池の緑の中央の岩上に小さな祭壇を作り、お坊さんがお経を唱えていた。私も姉もそこに擦り寄ってお坊さんと一緒にお経を唱えた。そのときだった。目の前のお寺に焼夷弾が命中した。池の中の人全員が池の緑の岩影に身を潜めた。しばらくして、顔を上げ、全員助かってほっとした。一息ついてお坊さんがお経を唱え始めた。今度は池の中の人全員がお経を唱え始め、大合唱となった。あきらめのよい姉は、私に「覚悟しとけよ。」と言った。だが私は、「ここでは死にたくない。どうしても家に帰りたい。そして母に一目会いたい。家族に見取られて死にたい。」と生死の境で夢中で願を込め、お経を唱えた。しばらくして今度はすぐ目の前に弾が落ちた。池の人全員が肝を抜かれた。とうとう最後に池に入ってきた中年の男性が犠牲となった。
 どれくらい時間がたっただろうか。周囲の音も静かになり、一人また一人と池から出て裸になり、寺の焼け残りの火で衣類を乾かし始めた。池の中の水が急に冷たく感じだした。とうとう私と先ほど犠牲になった男性の遺体と二人が池にとり残された。私も一刻も早く池から出たかった。姉が全身に力を込めて私を何度も引っ張ったが、体が岩にくっついて上がらない。目の前では池から出たみんなが衣類を乾かしている。姉が助けを求めても返事がない。しばらくして、先ほどのお坊さんがどこからともなく現れて助け上げてくれた。私と姉も急いで「ネマキ」を乾かした。時々、肉親の名を呼んで探す人の声が聞こえた。空には雲の間から月のように赤い太陽が、時々顔を見せていた。
 ネマキが乾いたところへ父の声がした。親子三人顔を合わせて喜んだ。父の話で、私達の居場所と無事を知らせてくれたのは、入院中お世話になった看護師さんだったことがわかった。私は、今度は父に背負われて岐路についた。
 寺の門を出て、焼け跡の煙る中、逃げてきた同じ道を通って帰った。途中、先ほどの防火用水の横をふと見た。中に入っていた全員が水の中に浮いていた。私たちは線路伝いに歩いて佐古駅に、汽車で池谷駅に着いた。三人で駅の待合室のベンチに腰をかけて休んだ。
 駅は朝の通勤、通学時間帯だった。中に私の同級生の何人かが居たが、汚れたネマキ姿の私たちを見て、一瞬立ち止まって見つめていたが言葉もなくホームへ向かって立ち去った。駅から自宅まで約二キロの道を父に背負われて帰った。母が私たちを見つけて途中まで迎えにきて、二人の無事な姿を見て喜んだ。その喜びもつかの間で、今度は、父が私たちを探し歩き、長距離私を背負ったことが原因で足を痛めて長期療養に入った。動けない私と小さくて体の弱い母。労働力を失った私たち一家には、兄の戦死と、不幸なそして苦難の道がさらに続いた。永遠の平和を願ってこの文を書いた。

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