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徳島大空襲:小川 加代子

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市八万町 小川 加代子

 私は新町小学校前に住んでいました。家族は五人でした。母は新町国防婦人会の会長をしておりました。父は町内の防空部長をしていました。妹は警察本部に勤めていて、警戒警報空襲警報発令の係をしていました。私は昭和十八年に女子挺身隊として終戦まで夜も昼も働いてきました。終戦まで川崎航空軍需工場へ行っていました。私の家は刀剣屋でした。出征軍人の刀を研いでいました。今の徳島大学病院は、戦時中は四十三連隊といって、出征兵士が訓練を受ける所でした。昭和二十年七月三日深夜から四日未明にかけて徳島大空襲になりました。
 真っ暗だった周囲が、一発の照明弾が落ちると、真昼のように明るくなりました。やがてB29一二九機が飛来し、数千発の焼夷弾が空一面に降ってきました。ちょうど花火のような火の雨でした。どこをどう逃げたか分かりません。私の足もとにも落ちて来ました。あっちこっちから悲鳴が聞こえてきました。川の水が熱湯になり、たくさんの死体の山でした。地獄を見るようでした。会社に行く途中、艦砲射撃にも二回あいました。今年で六十五年になりますが、昨日のように思い出します。
 私の家には刀剣が二百本余りありました。父は防空壕の中で焼夷弾の直撃を受けて、死亡していました。そばに刀が七十本余りありました。父のことは毎日思い出します。
 戦争は二度と起こしてはなりません。

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