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徳島市立 徳島城博物館
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とくしまヒストリー ~第18回~

安宅あたけ」 -城下町徳島の地名6-

 徳島市内には安宅という町があるが、安宅の意味を御存じだろうか。
 安宅とは水軍のことを指し、水軍の基地のことも呼んだ。地名の由来は、紀伊国牟婁(むろ)郡安宅(あたぎ)(和歌山県日置川町)に出自を持つという水軍の安宅(あたぎ)氏一族が戦国時代に三好氏に仕え、大型軍船を駆使して活躍した。その大型軍船の通称である「安宅」をとって、水軍やその基地を呼んだとされる(『徳島県の地名 日本歴史地名大系37』)。
「安宅」の地名は古く、寛永3年(1626)に出された「安宅島万壁書」という徳島藩の法令のなかに見える。「安宅島万壁書」は藩主が水軍のことを定めた最古の法令だ。ただし、この史料が示す「安宅島」は福島の東部ではなく、助任川と大岡川の合流する常三島の南東端(現在の徳島大学工学部付近)にあった。
 水軍の基地は初めは常三島にあったが、城下町の開発が進み武家屋敷用地が必要となり、また助任川の堆積が進み大型船の出入りが困難になったため、寛永17年(1640)に福島の東側に移転したのだった。そのため、福島東部から沖洲までのエリアを「安宅」と呼ぶようになった。常三島の方は「古安宅」と称された。
 水軍の基地の移転とともに、船頭の屋敷は常三島から安宅へ、藩船の漕ぎ手である水(か)主(こ)の屋敷は住吉島から沖洲に移されている。水軍の基地である「安宅」の移転は、徳島の都市政策における一大プロジェクトであり、そして大きな転機になった。
 それは、藩主の参勤交代は、徳島城を出て助任本町・大岡を抜け別宮で乗船するルートから、福島・安宅・沖洲のルートに変わったからだ。つまり、徳島城を出て北進するコースから東進するコースに移行したのだった。このように、水軍の基地の移転は、江戸前期に進められた城下町の再編を象徴する出来事でもあったのだ。
 ちなみに、基地が移転した福島東部の地域は、それまでは「地きれ」(慶長10年(1605)頃、「阿波国大絵図」、徳島大学附属図書館蔵)と呼ばれ、当時は開発の余地を残していた場所だった。
 安宅は、福島の四所神社より東で沖洲に至る地域だ。安宅の東端には地名の由来となった徳島藩水軍の根拠地があり、西側は船頭・水主の屋敷地、その南側には船大工の屋敷55軒が集まった「大工島」から構成されていた。
 水軍の基地は、東西230間(約460m、1間は6尺5寸)、南北が150間(約300m)で、現在の城東中学校がその中に収まってしまうほどの広さだ。周囲には土手が設けられ、土手上には松が植えられ、外部から隔絶された空間だった。この基地には、藩船を収めておく船倉と、藩船の建造・修理を行うドック、そして役所からなっていた。
 船倉は、「安宅御船蔵絵図」(笹尾秀登氏蔵)によれば76軒を数え、水軍の巨大施設だったことが分かる。
 安宅は、水軍の基地や船頭・水主・船大工の屋敷が集まった水軍一色の町だった。これは大きな特徴だ。しかも、この町を管理したのは安宅目付であって、町奉行の警察権の及ばない場所だったというから興味深い。
 水軍の基地と船頭・水主の屋敷地の間とは随分と離れている。その空閑地を「百間地」という。江戸前期に武家屋敷の飛火が原因で藩船が焼失したため、類焼を防ぐ目的で人家を基地から百間(約200m)ほど離して建てたという。それぐらい、藩船を大切にしていたのだ。
 海に面した領国をもった徳島藩主蜂須賀家にとって、水軍は必要不可欠な存在であった。福島以東に水軍を集約したのは蜂須賀家の都市計画の特徴だが、そのねらいは水軍組織と船舶などの一元管理と保護にあったと考えられる。
 現在では、船大工の伝統を残した「渭東の木工業」だけが往時を偲ばせているが、安宅は深い歴史を持つ特色のある場所だ。


「安宅御船蔵御絵図」、江戸時代後期、笹尾秀登氏蔵(徳島城博物館寄託)

参考文献

団 武雄氏『阿波蜂須賀藩之水軍』、徳島市立図書館発行、1958年
『日本歴史地名大系37 徳島県の地名』、平凡社、2000年
絵図図録第2集「徳島城下とその周辺」、徳島城博物館発行、2001年
根津寿夫「徳島藩水軍の再編 ー武家集団における秩序の形成ー」(高橋啓先生退官記念論集『地域社会史への試み』所収、2004年)

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