このページの先頭です
このページの本文へ移動

徳島市立 徳島城博物館
  • ご利用案内
  • 常設展示
  • 企画・特別展示
  • 催し物
  • 講座
サイトメニューここまで


本文ここから

とくしまヒストリー ~第11回~

殿様も食べていた「焼き味噌」 -城下町の食文化2-

 殿様は、普段、何を食べていたのだろうか。講演会で、こんな質問を受けることがある。その答えはなかなか難しい。
 50年間も藩主の座にあった5代藩主蜂須賀綱矩(つなのり)(1661~1730)は鳥肉が好物だった。
 隠居の2年後、70才の古希祝いの料理に、汁物と煮物の両方に鴨肉が入れられ、献立書には「御好被遊(おこのみあそばるる)」と記されている。つまり、綱矩は鴨肉が大好物で、その好みを反映して祝い膳が用意されたのだ。恐らく若い頃には随分と鳥肉を食べたのではないか。そのおかげで殿様の仕事を全うできたのかもしれない。
 こうした殿様の祝い膳、行事食については少し分かるようになってきたが、日常的な食事は依然として藪の中だ。現代の私たちもそうだが、毎日変わらないことは日記には記さない。これは江戸時代の人々も同じだった。ただし、よく古文書を調べてみると、普段の食事を窺うことができることもある。
 徳島藩主の国元での行動を記した日記、「万日帳」(国文学研究資料館蔵)を読むと、殿様の食事の一端がうかがえる。少し長いが引用してみよう。

  朝六半時
一御食九分目宛 三度上ル
一御汁 三度上ル
一あまたい 片身半分上ル
一二ノ御椀 大こん輪切 三切上ル
たうふ 六切上ル
一いりぬかこ すきと上ル
一やき味噌 弐つ上ル

昼九ツ過
一御めし 九分目程宛 両度上ル
一御汁 かさいのり・たい
一御平皿 大こん輪切・山いも・花かつほ 壱度上ル
一二ノ御椀 よせたうふ・葛に 壱度上ル
一あへ物 はまくりのはしら・いわたけ すきと上ル
一やき物 あわひてんかく 弐ツ上ル
一やきミそ 壱ツ上ル
一ぬか漬たなこ すこし上ル

 4代藩主蜂須賀綱通(つなみち)(1656~1678)の延宝3年(1675)3月3日の朝・昼食の記事。
 2月に風邪で体調を崩した綱通は、ようやくこの日に本復し、通常の食事に戻ったようだ。
 朝7時の朝食は、元気にご飯と汁をそれぞれ3杯食べている。おかずは、甘鯛(焼いたものだろうか)を片身の半分、大根の輪切りを三切れと豆腐六片、煎ったぬかご(むかご)。食べた品の分量を記録しているのは、医師が綱通の回復状態を把握するためだろう。
 12時過ぎの昼食もご飯を2杯食べ、食欲がだいぶ戻ってきたことが窺える。体調の悪かった2月の初めには、汁椀に6分目ほど盛られた大角豆(ささげ)ご飯を湯漬けにして何とか食べていたからだ。

 昼食のおかずは、煮物や和え物、焼物などが並び、鯛や蛤、蚫、豆腐、山芋といった食材も豊富で、大名の昼食は実に豪勢だ。
 ここで注目したいのは「焼き味噌」である。味噌は大切な調味料で、日記には「味噌漬け」「味噌煎り」「山椒味噌漬焼き」などと味噌で味付けされた料理が散見する。しかし、味噌は調味料だけでなく、毎日の「おかず」でもあった。綱通は、ご覧いただいたように朝食と昼食、それに夕食にも焼き味噌を食べていたのだ。恐らく綱通は焼き味噌を好んでいたのだろう。
 その味噌には、どのような秘密があったのだろうか。殿様の御膳に上げる味噌である「御膳味噌」や「焼き味噌」は、次のように理解されている。

「天正十五年(一五八七)阿波藩主蜂須賀家政公の家臣が、殿に供するみそを特別な製法で作り、それを口にした家政公が芳香と美味を讃えたことからこの名で呼ばれるようになったと言われます。徳島県では、朝食に味噌汁を作らず、もっぱら焼きみそやユズみそにして副食としました。この風習は他県に全く見られず「なめみそ」(副食にするみそ。ひしおや金山など)にされるほど美味な阿波みそとして「御膳みそ」は全国に知られる名物になったのです。焼きみその起源は、藩邸に仕える茶人の考案と伝えられ、藩主はこれを勤倹の勧めとして領内に配り以後阿波の朝は焼きみそに明ける習慣が生まれたと言われます。」(『とくしま味の四季』)


「焼き味噌皿」徳島市教育委員会蔵、江戸時代末期

 味噌を焼く時の用いた「焼き味噌皿」(写真)は、城下町徳島の武家屋敷の発掘調査でも発見されているから、焼き味噌を食べていたのは城下の人々にも一般化できる。また現代でも、60才位の方は、焼き味噌の香ばしいかおりを御存じだろう。
 病気が快復した綱通は三食とも焼き味噌を食べているのは驚きだ。いや快復したから食べたのではなく、焼き味噌を食べて元気になったと考えることも可能だ。それは、牛肉や豚肉を食べなかった江戸時代、豆腐とともに味噌は重要なタンパク源だったからだ。味噌を炙って一工夫した焼き味噌は簡単なおかずで、しかも手軽な健康食だった。
 殿様も食べた焼き味噌は、阿波徳島の伝統食の代表だったのだ。


「蜂須賀綱通画像」徳島城博物館蔵、明治初年

参考文献

『とくしま味の四季』徳島新聞社発行、1983年
『日本の食生活全集 36 聞き書 徳島の食事』農山漁村文化協会発行、1990年
春の企画展「阿波の食べ物事情」、徳島城博物館、2011年

お問い合わせ

徳島市立徳島城博物館

〒770-0851 徳島県徳島市徳島町城内1番地の8

電話番号:088-656-2525

ファクス:088-656-2466

担当課にメールを送る

本文ここまで

サブナビゲーションここから

施設情報

よくある質問

情報がみつからないときは

お気に入り

編集

サブナビゲーションここまで

ページの先頭へ
以下フッターです。

徳島城博物館

〒770-0851 徳島市徳島町城内1番地の8

電話:088-656-2525 ファクス:088-656-2466

Copyright © Tokushima City All Rights Reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る