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「五〇年目の修学旅行」

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市下助任町 稲井 和子

 昨年の秋、私宛に葉書が来た。昭和二十一年三月、富田国民学校卒業生「修学旅行会」の集いという思いがけない通知である。「えッ、修学旅行?」と、突然の事で驚いた。それから半年後、平成七年四月十五日。いよいよ五〇年振りの修学旅行に発つ朝となった。一月十七日の阪神大震災があってから、折角の修学旅行も中止になるだろうとの懸念も晴れて、さあ、出発である。傍目には、月並みな京都一泊のオバサン連中の旅かも知れないが、終戦の為に果たせなかった当時を思うと、六年生だった私は還暦を一歩過ぎた齢となって、こうして参加出来る事がどれ程意義ある事かと感無量だった。担任だった先生にもお会いしたかったが、健康すぐれず欠席と伺った。阪神大震災の影響か、当日、揃った懐かしい顔触れは九名。それぞれに再会を心から喜び、私は、幼名で呼ばれて一遍に五〇年前にタイムスリップした。
 体操の時間の防空練習や、覚えている手旗信号を実演したり、教育勅語やモールス符号の暗誦、給食のイナゴの話やらすでに死亡した友等、病床にある友等に思いを馳せ泣いたり笑ったり、枕投げこそなかったが、眠る時間が惜しくて思い出話は尽きず、時刻は午前二時を回った。
 目を閉じても強烈に思い出すのは、やはり、昭和二十年七月三日夜半より四日未明にかけて空襲に遭った時の事。忘れもしない、当時、わが家は南仲町3丁目にあり、父と姉は川西航空に勤め尼崎に在住し、二人の兄は出征、銃後を守る母と私だけの空襲の夜だった。シャーシャーと焼夷弾の降ってくる不気味な音。まさか、わが家に焼夷弾を投下するとも知らず、防空壕で身を縮めていたら、突然、炸裂音と同時に目前に、真っ白な閃光が走り火花が噴水の様に四方に飛び散った。防空壕をめがけて降り注いできた。「危ないっ、和子ッ早よう逃げなさいッ」母は叫ぶや否や、たじろぐ私を防空壕から神業のようにほうり出してくれた。あとは一目散、火焔の町をどこをどう走ったか。今にして思えば、雨あられと降る焼夷弾の直撃も受けず、よくぞ無事でくぐり抜けられたものだ。ふと、母がいないのに気付いた暗闇、避難する大勢のごった返す人混みに揉まれどうする術もなく、沖浜の堤防まで来ていた。そこで、火の海と化すわが町を!! 飛ぶB29の機影を!! 目に焼きつけて呆然と立ち尽くした。
 悪夢の様な夜が明けて、富田国民学校の塀沿いには焼け出された人々で一杯だった。「南仲町3丁目の人、ここへ集まれ」と、町内会長のメガホンの声を空(うつ)ろに聞く。そこへ、蔵本の連隊にいた兄が軍服姿で私を見つけて走って来た。「和子ッ、母さんは? 母さんはどうしたッ」姿が見えぬ母の安否を急き込んで問う兄の大声に、初めて我に返った私は、昨夜以来の必死に耐えていた胸の思いが、マグマの様に突き上げて、兄に縋(すが)って泣きじゃくった。
 暑い暑い夏。着のみ着のまま、私は母を探しに上八万村(現徳島市)の母の里へと長い土手を独りとぼとぼ歩いた。と、向こうから急ぎ足で近づいて来るのは紛れもなく母である。この時の感動は、戦後五〇年経った今でも、自動車を運転してその場に差し掛かると脳裏をよぎり、決して消える事はない。大きな松の木の下で憩った思い出も。今はこの木も無くなっている。
 余儀なくした疎開。そこで迎えた終戦の日。そして翌年、三月父の死。私の市立高女合格発表の日も待たず父は逝った。
 入学した頃は、校舎もなくて富田小学校を借りて徳島高女と交代の授業だったりした戦後の混乱期。疎開先も上八万村から応神村(現徳島市)へ移り、制服に下駄履きの恰好で旧吉野川橋を渡り市女(現徳島中学校所在地)へ通学した。橋上には、投下された焼夷弾がめり込んで、六角形の鉛がピカピカに光って見えていた。長い道のりも苦でなく楽しみにただ歩いた。時たま、仕事を終えて帰る荷馬車に乗せて貰ったりした事もある。やがて、昭和二十四年三月、学制改革により市立高女は消える事になり、今、母校はない。振り返ると、時代の流れに呑み込まれざるを得ない少女時代。然し、こうして生きて来たから、修学旅行も体験させて貰ったと感謝している。昨夜も、「あの時、死んだと思ったら、今はおまけの人生じゃ」と笑いとばした友の言葉通りだと思う。平凡な主婦だけれど平凡に暮らせる平和な時代が本当に有難く思える。
 四月も半ばなのに洛北の残花は美事で殊にしだれ桜はこの世の極楽を想像させる。折しも、修学旅行の団体でどこも犇(ひしめ)いていた。来年は、私の孫も六年生。このように修学旅行に来るのだろう。戦争を知らぬ世代の修学旅行の子等とすれ違う時、遠い昔の自分の姿が重なって、この学童達が生きる二一世紀、どうか平和な世界であります様にと心から祈りつつ、私達の修学旅行も終わった。

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