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「大空襲と妊婦の私」

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市富田橋 下川 幸代

 戦争は、まさに残酷で悲惨なもの以外の何物でもありません。戦争の敗色濃い昭和二十年七月その時、私は妊娠八カ月の身重で、いざという時、容易に動きがとれないので「妊婦は前以て強制疎開せねばならない身となった」。その時は徳島が空襲を受けるか、どうか判りかねていたが「若し運悪く空襲を受け両親、家族全滅ともなれば疎開して自分一人助かっても、こんな悲惨な事はない」と色々考え心配性の私は思案にくれ、どうしても疎開先へ踏切る決心がつかず一日延びの状態でしたが愈々切迫。夫の兄様の家(石井町)へお世話になる決意。その時兄も既にビルマ戦線で活躍中。私より一足先に東京からも親子二人疎開で来ていた。準備していた赤ちゃんの下着、襁褓(むつき)など(五〇年前は新しい布さえ買うにもなく、ユカタの着物をつぶして作る)少々風呂敷両手に持ち、半泣きの顔して、しぶしぶ出かけにくい時、今は亡き母は、私を心配し思い見兼ねたのでしょう、送り出す時「皆も後からすぐ行くけん、元気でな」と。今考えるとお互いにつらかった。やさしい言葉は、今も脳裏から離れない。それから、まさかと思った僅か三日目の七月四日、午前一時真夜中頃から、あの恐怖の徳島大爆撃が始まった。米軍B29一二九機、すさまじい爆音は異常に大きく、石井の空に旋回してくる度、私は大きなお腹(なか)を抱えて壕を出たり入ったり暑くて汗は噴き出るし、「真っ暗闇の中、徳島の方が紅色に染まる、異常な明るさは次第に見る見る広範囲になっていく。「よくぞ疎開していたと思う反面、私は胸騒ぎ、石井の地で唯々茫然!」。農家の人達や近所の壮年の人が口々に四三連隊がやられた。もう徳島市内は全滅じゃ」と叫び合っていた。私はもう「つらくてたまらない」。三日前に徳島から疎開してきている私と知らず気など遣ってくれる訳がない「両親はじめ、夫、妹二人、皆大丈夫かしら」と。未明から胸はどきどき身を引き裂かれる、長い苦しい時が過ぎ、「疎開せず、やっぱり皆と一緒におればよかったか」と、あれこれと思う苦しさ。夫は空襲警報が出れば国鉄へ守備に、城山の壕へ入ったとか、爆弾落下中、家族は、それぞれ三方に分かれていた事になる、お互いに気遣う。その日、夫は「午前中に我が家族が心配で、かちどき橋の鉄橋を通り枕木が燃えていて渡りづらかったと、富田橋1丁目現在地の我が家の壕の中を先ず見たが誰もいないから逃げたな」と思い、少し安心したとか。罹災者は富田国民学校へ避難している事を聞き両親、妹達と会った(私は後日知った話)時間は、はっきり覚えぬが、夕方家族は濡れた防空頭巾にモンペ姿で線路伝いに、疲れた体で石井迄たどりつく。生死さえ、さっぱり判らん時「唯うれしや私の元へ」。見れば両親、妹二人で夫の姿は見えず、母は益雄さん(夫)も元気で昼間富田国民学校へ会いに来てくれた大丈夫。夜迄には国鉄から帰って来るからなと。これで先ずひと安堵。両親、妹二人の四人は、やはり石井の母の里で、その晩からお世話になった。田舎の方のお家も直接戦火にあわずとも、当時は大なり小なり戦争にまき込まれ大変な時代であった。長い時間緊張し家族皆無事と聞いた瞬間のほっとした喜びは、半世紀を経た今も、又一生忘れる事はない。
 「皆命さえあれば家も、物も、何もいらん」と思い続けたのに、さて皆助かったと、時が過ぎ行くに「ああ家も焼失、凡て灰塵と思うと、これから、さあどうしよう大変と思うと、皆命さえあれば何とかなるの気持ちは何処へやら」、つくづく勝手な人間の欲望はと、思い知った。「焼夷弾攻撃はB29一二九機から一〇〇〇発落とされ、徳島市の六二パーセントを一夜で焼き尽くし、死者一〇〇〇余人、傷者二〇〇〇人」。間もなく八月十五日終戦、天皇陛下の玉音。終戦から一五日目の九月一日難産の末、疎開していた産科医に運よく助けられ、長女を初出産。翌年焼け跡にバラックを建て、四方八方焼け、見通しよく両国橋まで見えた。電気がなく赤ん坊を連れている私達は夜困るので電燈が灯ってから後は帰った。大きな時代の嵐に巻き込まれ乍ら、あの時の乳飲み児は半世紀を経て早、銀行員と県庁職員二人の母親に。戦争の悲劇は人々の心と体に半世紀経ても消えない大きな傷跡を残す、尊い生命を踏みにじる愚かな事は二度と繰り返してはならない。今年の空襲記念日に妹二人から想いは同じあの半世紀前、富田国民学校へ兄さんが見に来てくれ会った時の嬉しさ、喜びの瞬間、皆命がけで逃げたもので、会えた当時の素晴らしい感激が半世紀経た今も脳裏に焼き付いているのでしょう。喜びを妹二人共殆ど変わらぬ言葉で電話をかけて来た。戦火の中を命がけでくぐり抜けた、さすが妹二人だなと。私も嬉しく其の日は、つくづく「平和ほど尊きものはない。平和ほど幸福なものはない」と。「あっという間の半世紀であった」。

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