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「防空監視隊本部」

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市幟町 玉置 せき子

 米軍機による日本本土空襲があちこちの都市に行われる様になった頃、二〇代の女子を集めた通信隊が結成されました。防空監視隊本部と呼ばれ県庁内の一室に電話機を設置し、海岸線又は内陸部の小高い山に造られた。一番宍喰に集まる一九カ所の監視哨からの通信を受け、大阪の中部軍と善通寺本部に送るのが任務でした。監視哨の内、牟岐・日和佐・橘が軍の監視哨で中部軍や善通寺からの指揮連絡を送ったり、又監視哨からの定時の気象情報を中部軍と善通寺に送るのも日課でした。初め昼勤と夜勤に分かれていたのが途中で一昼夜勤務になり、夜は一時を境に前半と後半に分かれて仮眠をとり、警報発令時は全員指定の部署につきました。まだ現実に徳島が空襲を受けるという意識は薄く、休日には皆で監視哨の慰問に行ったり、哨員からの機種の問い合わせに答える為、飛行機の機種や特徴等の勉強に熱中しました。又大阪の中部軍本部での防空通信競技会に参加した事もありました。勤務明けの晴れた日に皆で夜勤に使う毛布を持って園瀬川に洗濯に行き、川原に広げて乾くのを待つ間談笑に時を忘れた事など、まだ実際に敵機の姿を見ない時の楽しいひと時でした。其の内、段々戦況もきびしくなって地方の都市の空襲が伝えられる様になり、徳島も松茂に爆弾が落とされたのを手始めに那賀川の鉄橋が機銃掃射を受け、市内の秋田町に爆弾が落とされました。当時、仲之町に住み、勤務あけでもあって二階の部屋で寝ていたところ、凄い爆発音と共に障子の桟が折れ、飛び起きた事がありましたが、其の後いや応なしに空襲を覚悟する様になった或る朝、勤務に出る時「若し空襲があったら何処に逃げるの」と母に聞くと「明神町のAさんの所か、それが駄目なら城山に」と言うので「では行って来ます」と家を出ましたが、それが七月三日だったのです。昼間は何事もなく過ぎ夜になって突然敵機来襲の通信が各監視哨から入り始めると同時に次々と通信が不通になり、県庁の屋上に焼夷弾の落下する音がずしん、ずしんと響き出したが、あっと言う間の事でした。最後迄通じていた中部軍との連絡がとだえた後、部屋の中に煙が次第にたち込める様になり、ハンカチを花瓶の水でぬらして鼻と口を押さえ、ひとかたまりに肩を寄せ合っていました。が「これで最後だ」という思いが頭の隅を横ぎってゆきました。今思い返してみても恐いという気持は無く、皆一緒だという気持だった様です。口を開く者も無く静かな時が過ぎ「皆窓から出ろ」と言う副隊長の声に我に返り、窓にかけられた梯子を伝い外に出ました。外はもう一面に焼け落ち県庁の前庭にテントが張られ救護所が出来、担架に乗せられた人が次々と運ばれて来ていました。私達は直ぐ解散になりましたが、一面の焼け跡であちこちにまだまだくすぶる火が見え、其の熱気で道が歩けない有様、とにかく鉄道線路に出て線路づたいに明神町をめざしました。途中で線路をはずれ細い道に出ると、その道路ぞいの門の中から人の足が突き出ているのが目に入り、思わず顔をそむけたのが今も目に残っています。やっと岩野様の家に着き父と母の無事な顔を見た時の嬉しさは言葉になりませんでした。後日の話ですが、空襲が始まると同時に父が早く早くとせきたてるので、私が何時も勤務に出る時、庭に掘ってある穴の中に大切な物を入れ、シャベルも添えて「逃げる時は必ず土をかけて」と母に頼んでありましたが、そんな暇もなかったという事を聞きました。兎にも角にも父母の無事な姿が何よりの事でした。
 徳島空襲後は脇町に疎開し、穴吹の駅まで徒歩で穴吹から汽車で勤務に通いました。徳島駅に降り立つと一面の焼け跡に丸新と一楽屋が残り眉山の裾まで一目で見渡せました。監視隊本部は瑞巌寺に移ったのですが、瑞巌寺の南側の山から国瑞彦(くにたまひこ)神社の方に抜ける横穴が掘られ真ん中で仕切られ、瑞巌寺側は監視隊、国瑞彦神社側は軍が使いました。内部は全部板張りで側面に電話機が並んで設置されていました。夜は本堂で休み、前庭に大きな釜をすえて大豆などの入った御飯を炊いていましたが蠅がすぐむらがって追うのに一苦労でした。瑞巌寺での勤務中に艦載機が飛来し天神社の辺りに爆弾を落とした事、八月六日に軍の方から「広島に新型爆弾が落とされ全滅した」という事を聞きましたが、その新型爆弾というのが原子爆弾だったと後で知りました。徳島空襲が勤務中だったので何も彼も失いましたが、そんな事は物の数ではなく、唯、国を守るのだという一心でした。其の後八月一五日に終戦で解散になりましたが、あの監視隊での日々は私達の青春の日々でもありました。今、昔の事を思い瑞巌寺に行ってみますと、あの横穴は何処にあったのか見当もつかず夏草が生い茂り国瑞彦神社の方にもマンションが聳え、当時を偲ぶよすがもありませんでした。今年は終戦五〇周年で、私も喜寿を迎えました。徳島の街も美しく復興し、県庁も昔の姿は文化の森に移され近代的な建物に変わりましたが、あの庁舎の一角で防空通信に燃やしたわかい血汐は一生胸に残る事でしょう。受話器を耳に「ハイ本部……了解」と復唱した若々しい声と共に。

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