令和版 徳島市史編さん室だより 第2号

更新日:2020年9月30日

10月1日は、徳島市の置市記念日です。

市制の施行と徳島市の誕生

 明治21年4月25日法律第1号をもって、市制及(および)町村制が公布されました。これには法の精神を盛り込んだ、上諭(じょうゆ)と長文の理由書が添付されました。この市制は、府県知事の具申によって、翌22年4月1日から、内務大臣の指定する地に施行されました。
 徳島においても当時の県知事酒井明(さかいあきら)が、かつて御山下(ごさんげ)と称した朱引地内(しゅびきちない)の33か町村とこれに接続する4郷町村(ごうちょうそん)に市制を施行するよう具申した結果、明治22年10月1日に徳島市が誕生しました。

朱引地(しゅびきち)の町村 徳島町(とくしままち)・内魚町(うちうおまち)・中通町(なかとおりまち)・通町(とおりまち)・塀裏町(へうらまち)・紙屋町(かみやまち)・八百屋町(やおやまち)・出来島町(できじままち)
       西横町(にしよこまち)・寺島町(てらしままち)・籠屋町(かごやまち)・大工町(だいくまち)町・古物町(ふるものまち)・北山路町(きたやまじまち)・船場町(せんばまち)・西新町(にししんまち)・
       東新町(ひがししんまち)・桶屋町(おけやまち)・寺町(てらまち)・新魚町(しんうおまち)・富田町(とみだまち)・助任町(すけとうまち)・常三島村(じょうさんじまむら)・助任西町(すけとうにしまち)・
       前川村(まえがわむら)・福島町(ふくしままち)・福島本町(ふくしまほんまち)・福島郷町(ふくしまごうまち)・住吉島村(すみよしじまむら)・二軒屋町(にけんやまち)・富田浦町(とみだうらまち)・
       佐古町(さこまち)・佐古村(さこむら)
郷村(ごうそん)     安宅村(あたけむら)・大工島村(だいくじまむら)・下助任村(しもすけとうむら)・南佐古村(みなみさこむら)

 このとき、市内の町村名のすべてを「町」で統一し、呼び方も原則として「まち」と読むこととしました。
 徳島県統計書によると、このとき徳島市は人口6万861人、戸数1万4607戸、面積11.57平方キロメートルでした。
 その規模は人口において、その年に市制をしいた40市のうち、東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜・金沢・仙台・広島についで、全国で10位の大都市でした。

明治22年ごろ 市制施行当時の区域表
明治22年ごろ 徳島縣市町村區域表

明治27年の都会一覧表 全国第11位にランクされた
全国第11位にランクされた明治27年の都会一覧表

市制施行当時市域図
市制施行当時の市域図

市域の拡張 大正から昭和初期

 大正8年4月に都市計画法が制定されると、同14年7月に都市計画施行地の指定を内務大臣に申請するとともに、隣接町村を合併して大徳島市(だいとくしまし)を建設しようとします。そして大正15年に斎津村(さいつむら)・沖洲村(おきのすむら)を合併編入します。
 昭和3年10月1日に板野郡川内村字向別宮(いたのぐんかわうちそんあざむこうべっく)・金沢新田(かなざわしんでん)を編入します。この日は徳島市に市制がかれてから40年目にあたるので、はじめて「置市ちし記念日」の制が設けられ、盛大な記念式典が行われた日でもありました。
 その後も、昭和12年に八万村(はちまんむら)・加茂名町(かもなちょう)・加茂町(かもちょう)をつぎつぎと合併しました。これによって徳島と総称されていた地域内の郷村(ごうそん)で、市制施行のとき除外されていた地域はすべて徳島市に合併され、その面積は47.53平方キロメートルに広がり、人口は一躍12万4626人、戸数2万5996戸となって、四国第一の都市となりました。

参考文献

徳島縣治概要(とくしまけんちがいよう) 徳島縣発行 大正11年(1922年)
自治制發布(はっぷ)五十周年記念編纂(へんさん) 徳島縣治概要 (とくしまけんちがいよう)徳島縣発行 昭和13年(1938年)
自治五十年小史 徳島市役所発行 昭和13年 (1938年) 
写真でみる徳島市百年 徳島市発行 昭和44年(1969年)
徳島市史第2巻 行政編・財政編 徳島市発行 昭和51年(1976年)
徳島市史別巻(べっかん)地図絵図集 徳島市発行 昭和53年(1978年)
徳島市議会史 第一巻 明治二十二~昭和二十一年 徳島市議会発行 平成元年(1989年)

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