徳島市における空襲体験― 徳島市西部入田に投下された焼夷弾 ―:矢部 雪子

更新日:2016年4月1日

 徳島市入田町 矢部 雪子

 徳島大空襲の前日、家の中で聞いた突然の異常音。それは、バリバリバリとそれこそ腰が抜けるほど、不快な音でした。
 私が家から飛び出すと、東の空から米軍のグラマン戦闘機が、低空飛行で飛んで来ました。戦闘帽や眼鏡まで見え、あっという間に飛び去って行きました。私は無事でしたが、その後、さっきの音は田の草取りをしていた人を銃撃した音だと知らされました。
 次の日。
 「もしものときは、春日の大楠の下へ避難するように。互いに助け合って・・・。」
 と常会長さんからの連絡。いよいよ戦局は厳しく本土進攻が熾烈(しれつ)になり、昨日のグラマンの偵察が気になっていました。そんなとき、
 「ウウウー、ウウウウー、ウウウー、・・・・・・・・・・・。」
 と、突然鳴り響く空襲警報のサイレン。警戒警報も無いまま、「待避、待避。」と絶叫する男性の声。私は、お隣の二人の男の子の手を引いて駆け出しました。隣家は、出征兵士の留守宅で、奥さん一人では三人の子は守れない。せめて上の子を守ってあげたい、そんな思いで走り続けました。
 「ザザーッ。ザザーッ。」
 大楠の大枝を揺るがす、すさまじい音。B29が降下する爆音が、頭上を通り過ぎる音と重なって耳が聞こえなくなるかと思うほど。すると、二人を両腕に抱えて地上に打ち伏していた私の上に、砂や小石が雨となって落ちてきたのです。それでも急いで立ち上がり大楠の下へ。そこには近所の人達が全員集まって避難していました。
 「南無、日天さん、月天さん、武雄の家が燃えませんように・・・。」
 繰返し、繰返し天に向かって祈り続けるお豆腐屋のお婆さんの声。
 そのとき、目の前の南山に次々と焼夷弾が投下され、山はまるで、満山花火が一斉に火を吹いたように赤々と燃え始めました。「どうしょう。どうしょう。」なすすべのない私達でした。幸いなことに人家がまばらだったから、木小屋が二ヶ所焼失しただけで鎮火し、山の緑が、山を守って自然鎮火しました。
 それから見た徳島市街地への波状攻撃の激しさ。B29から投下される焼夷弾は、遠くから見る私達の目には、まるで火の玉が空から降って、それがひらひらと舞い落ちているように見えました。大切な街が焼き尽くされようとしている。私達は固唾をのみ、どうしようもない焦燥感と、ただ見ているだけの無力感にうちひしがれていました。
 一夜明けると砂の雨の原因が分かりました。すぐ近くで、エレクトロン焼夷弾が地中にのめり込み、破裂し、異臭を放っていたのです。
 南山には不発弾が次々見つかり、役場にはそれが山のように積まれていました。家の前の県道は、空襲で焼け出された人達が引きも切らず、着のみ着のままで、親戚を頼って行く姿が続いて、「戦争は銃後も戦場もないんだ。無残なこんな姿は、見たくない。早く終止符を打って欲しい。」とつくづく思ったことでした。

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