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市史編さん便り 第1号

最終更新日:2016年5月20日

 「兵隊が駐留した学校」

 昨年は「戦後70年」にあたり、アジア太平洋戦争[昭和6(1931)年~昭和20(1945)年]が終わって70年を経過しました。この間、戦争を体験した人
びとが、たくさんの手記や談話を残しています。いずれも、空襲や戦争の悲惨さを訴えているものばかりです。そのいっぽうで、昭和20年以前に誕生した市民は全体の約18%になってしまいました。“戦争の体験・記憶の風化”が危惧されています。わたしたちは、戦争の記憶を風化させないためにも、これを語り継いでいく必要があります。

 昭和20(1945)年7月4日未明、「徳島大空襲」がありました。徳島を空襲した米軍第314爆撃航空団「作戦任務報告書」(奥住喜重『中小都市空襲』1988年刊)によると、B29爆撃機129機が午前1時24分から午前3時19分にかけて、焼夷弾を953トンも投下しました。この空襲は、城下町の雰囲気を色濃く残した徳島の中心部を焼き尽くしました。そして、多数の市民が犠牲となりました。

 戦後に市民が残した手記や談話のなかに、空襲のとき、市内の学校には多くの兵隊が駐留していたことがでてきます。兵隊は「蔵本の連隊」にいたはずですが、なぜ学校に駐留していたのでしょうか。
 新町国民学校・八万国民学校には歩兵第450連隊の第2大隊が駐留していました。第450連隊(終戦時3841人)は昭和20年5月初旬に、蔵本の留守部隊(歩兵第二補充隊)を中心に編成した部隊でした。連隊の主力は那賀郡立江町(現在は小松島市)に駐留し、山腹に陣地を構築していました。第2大隊が新町国民学校に大隊本部を置き、眉山の山腹・山頂に陣地構築を進めました。
 佐古国民学校・加茂名国民学校・県立工業学校(現在は徳島科学技術高校)・県立渭城中学校(現在は城北高校)は独立混成第121旅団(終戦時6016人)が駐留していました。独立混成第121旅団は昭和20年6月下旬に徳島で編成し、佐古国民学校に旅団本部を置きました。40歳に近い第二国民兵(丙種合格)が多く、武器の支給も不十分でした。徳島の守備が任務であったようですが、編成直後に大空襲に見舞われます。
 空襲のとき、新町国民学校・佐古国民学校・県立工業学校には焼夷弾が落ちたり,火災が迫ってきました。駐留している兵隊の消火活動の結果、佐古国民学校・県立工業学校は焼失をまぬがれました。焼失した新町国民学校に駐留していた第450連隊第2大隊は、大隊本部を竹林院(八万町)に移しました。加茂名国民学校に駐留していた独立歩兵第730大隊(終戦時897人)は、空襲直後の市内で焼死体収容や焼け跡整理に従事し、11日には勝浦郡へ移駐しました。他の多くの部隊も空襲後は、勝浦郡・那賀郡へ移駐していきました。
 7月初め頃(徳島大空襲の直後であろう)、勝浦郡勝占村の方上国民学校(現在は徳島市北山町)のすべての教室が兵舎として接収され、生徒は学校から追い出されてしまいました。1~3年生は北山の熊野神社、4~6年生は方上の八幡神社(現在は徳島市方上町)で勉強しました。学校がすべて返還されたのは敗戦後の9月末のことでした。
 昭和20年3月に硫黄島が陥落し、4月沖縄に米軍が上陸します。4~5月、軍部は本土決戦のために「根こそぎ大動員」を実施し、大量の兵隊を急造しました。歩兵第450連隊や独立混成第121旅団を徳島で編成したのも、四国防衛を目的に徳島県の沿岸部に配備するためでした。そのため,駐留する部隊の兵舎として学校が宛てられました。

 上にあげた学校以外にも,市内には兵隊が駐留した学校があったのではないでしょうか。そのとき,生徒の授業や地域の人びとの生活はどのような様子であったかを明らかにしていきたいと思います。「兵隊が駐留した学校」について史料や体験をお持ちでしたら,ぜひ市史編さん室までご連絡ください。

【参考図書】
  徳島空襲を記録する会『徳島大空襲 手記編』(1971年刊)
  茶園義男『本土決戦 四国防衛軍』上・下巻(1971年刊)
  徳島空襲を記録する会『廃墟の街』(1975年刊)
  高田豊輝『徳島市方上地区の歴史』(2007年刊)

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